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浦和地方裁判所 平成10年(わ)1021号 判決

主文

1  被告人を無期懲役に処する。

2  未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

理由

【犯行に至る経緯】

一  被告人の身上、経歴、生活状況等

被告人は、昭和四一年七月一七日、福岡市内において、父A(自動車運転手)、母B子(酒屋経営)の長男として出生し、その後、福岡県内の小中学校を経て、昭和五七年四月に福岡県立甲野高等学校に進学した。被告人は、高校入学後ラグビー部に所属し、その実績が認められて、昭和六〇年四月に乙山大学体育学部に推薦入学した。被告人は、同大学においてもラグビー部に所属し、大学選手権に出場したり、四年生のときに副主将となるなどして活躍し、大学卒業後、平成元年四月二日付けで株式会社丙川銀行に採用され、同行に入行した。なお、同行は、営業拡大戦略の下に、平成元年度においては過去二番目に多い約五五〇名の新卒者を採用したが、特に熱意、積極性、体力等の資質を期待していわゆる体育会系の人材を積極的に採用しており、被告人も、右のような人材の一人として、採用された。

被告人は、まず、同行竹ノ塚支店に配属され、約三か月間営業課で銀行窓口業務に携わった後、融資業務を担当し、平成三年八月から門司支店、平成五年六月から北九州支店においてそれぞれ融資業務を担当し、平成八年四月から、埼玉県春日部市《番地略》所在の春日部支店に勤務していた。

被告人は、平成六年二月、大学時代から交際していたC子と結婚し、同年一二月に長男を、平成八年一一月に次男をもうけ、春日部支店への転勤に伴い、同年四月に同県草加市《番地略》丙川銀行草加家庭寮二号棟二〇三に転居し、妻子とともに暮らしていた。

被告人は、丙川銀行から年間約八百万円の給与を受けており、月々の給与約五〇万円から、税金、保険料、草加家庭寮の家賃、いわゆる住宅財形貯蓄の積立金、丙川銀行の従業員持株購入費等を控除後の二三万円ないし二五万円くらいから、五万円を自己の小遣いに充て、残余を生活費として妻名義の普通預金口座に入金していた。被告人の家庭では、生活費として月に約二〇万円程度の支出をし、不足分は年二回の賞与から穴埋めしており、借財はなく、資産としては、預金、住宅財形貯蓄、丙川銀行の従業員持株、自家用自動車一台等があった。

二  被告人の勤務状況等

被告人は、平成八年四月から、丙川銀行春日部支店取引先第一課(D課長)に配属され、総合書記の肩書で渉外業務を担当することとなり、埼玉県幸手市、南埼玉郡宮代町、北葛飾郡杉戸町等を担当区域とし、法人及び個人の顧客等を訪問して、顧客(取引先)の新規開拓、預金の獲得、融資の相談、預金・貸出の取次等の業務を行ういわゆる外回りの仕事をしていた。

被告人は、無断欠勤や遅刻もなく、真面目な勤務態度であり、平生穏和で、人当たりも良い反面、仕事の上では、安請け合いしては、忘れてしまったり、あるいは約束の訪問期日を守らなかったりするなど場当たり的でルーズな面もあった。また、被告人は、書類の管理や事務手続にも比較的ルーズで、事務処理も遅い方であり、従前内勤で融資業務を担当することが多く、外回りの仕事については不慣れであったのに、取引先第一課の四人の総合書記では入行年次が一番上であったことなどもあって、上司に指示を仰いだり、同僚に相談したりせずに、一人で問題を抱え込んで事務処理を停滞させ、書類を不備なままにして放置することもあり、また、顧客から書類を預かったのに、記帳を怠ったまま、これを自宅に持ち帰り、そのまま保管していたこともあった。

三  被告人がE、F子夫婦と知り合った経緯等

被告人は、前任者から担当区域の顧客(法人約二〇社、個人約四〇世帯)を順次引き継いだが、その過程で、E、F子夫婦と知り合った。

Eは、大正一二年一〇月九日、福岡県内で出生し、東京都台東区入谷で育ったが、網膜色素変性症の症状の進行による視力低下のため、生命保険会社勤務からマッサージ師に転じ、その後、白内障を併発して、全盲となった。

F子(旧姓G)は、昭和六年四月二四日に新潟県内で生まれ、同県内で育ったが、小学生のころ、背中を痛め、十分な治療を受けられなかったため、脊柱が強く後彎した体形となっていた。

右両名は、それぞれ生計等に苦労を重ねつつ、昭和三七年一月に結婚し、同年一一月に長男を、昭和三九年九月には長女をもうけた。そして、Eは、東京都台東区入谷の自宅で開業して、マッサージ師として働き、F子は、その仕事を手伝うとともに、洋裁の仕事をするなどし、昭和六三年四月には埼玉県南埼玉郡《番地略》に転居し、長男やその家族と同居していた時期もあったが、平成四年に長男が仙台に転勤して以降は、夫婦二人で暮らしていた。

E夫婦は、転居前から丙川銀行の顧客であり、転居後は、同行春日部支店の顧客となり、郵便局を除くと、金融機関としてはほとんどもっぱら同支店を利用し、歴代の同支店の担当者から親切な対応を受けていたことなどから、同支店の担当者に対して大きな信頼を寄せていた。

被告人は、前任者からの引継ぎで、E夫婦が同支店に四〇〇〇万円を超える預金を有していること、Eが全盲でマッサージ師をしていること、銀行の手続は全部F子がしていることなどを知り、また、F子が出歩くのに都合が悪いときは、なるべく顔を出してあげてくれと伝えられた上で、平成八年四月下旬に、前任者とともにE方を訪問してE夫婦と知り合い、その後、定期預金の書替、入金、払戻の取次等のために、多いときは月三回くらい、E方を訪問していたが、話し相手が欲しい様子のE夫婦から、その都度茶菓を出され、お互いの身の上話をしたりすることが重なるうち、E夫婦と次第に親しくなっていった。

そして、被告人は、E夫婦が主として三か月ないし六か月満期の定期預金で資産を運用しており、元本を使うことはないことなどを知り、また、F子から、転居してからは近所付き合いがほとんどなくて寂しく、精神的に参って眠れずに病院に行ったこともあるなどという話まで打ち明けられるなどして、E夫婦から大きな信頼を受けていることも実感していた。

四  株式会社丁原コンクリートに対する不正融資の経緯等

1  被告人が株式会社丁原コンクリートを顧客として開拓した経緯等

被告人は、平成八年六月ころ、取引先第二課のH課長代理の勧めで、株式会社丁原コンクリートを顧客として開拓すべく、同社に赴いた。

丁原コンクリートは、平成二年一二月に設立されたコンクリートの二次製品(U字溝、車止め、縁石等)の販売等を業務内容とする会社で、埼玉県南埼玉郡《番地略》所在の代表取締役Iの自宅に事務所を置き、丙川銀行春日部支店とは、設立の際一〇〇〇万円の資本金を同支店に払い込み、平成三年五月ころ当座預金口座及び普通預金口座を開設するなどの関係があったが、手形割引や融資等の取引はなかったところ、事業規模の拡大に伴って、主力取引銀行である株式会社あさひ銀行からの融資が借入枠の限度額に達する見込みであったため、同行以外からの借入れを検討していた矢先に被告人の訪問を受けたものであった。被告人は、右訪問の際、Iから融資依頼を受け、上司らと方針を協議したが、その結果、当面の方針として、丁原コンクリートがあさひ銀行で割引予定の手形のうち、優良銘柄の手形のみを選別して丙川銀行春日部支店において割り引くこと、短期貸付については、個人資産等を確認した上で検討することなどが決定された。そして、右方針に基づき、同支店は、同年六月下旬から、丁原コンクリートとの間で、額面金額約二七〇〇万円の手形割引取引を手始めに、取引を開始した。

2  被告人が不正融資に手を染めた経緯等

被告人は、平成八年七月一一日ころ、Iから、丁原コンクリートの運転資金として単名手形による手形貸付の方法により二〇〇〇万円の融資を受けたい旨依頼された。その理由は、夏場に少なく冬場に多い土木工事の季節変動に連動して、丁原コンクリートの製造販売するコンクリート製品の受注及び売上回収が冬場に集中するため、夏場に製品を製造備蓄するための季節資金が必要であるというものであった。

そこで、被告人は、Iから資料の提供を受けるなどし、また、丁原コンクリート及びその関係者の資産、他行からの借入状況等に関する従前からの調査も踏まえた上で、同社の資金需要の内訳と調達計画、同社は、他行で信用保証協会の限度額一杯の借入れがあり、不動産に担保余力はないが、販売先に大手企業が多く、売上回収に強みを有すること、Iの義父(妻の父)が資産家であり、取引拡大に伴い保証人となる見込みがあることなどの調査結果をまとめた。

そして、同年八月八日ころ、春日部支店において、支店長、副支店長ら出席の上、丁原コンクリートに対する融資の可否を検討する会議(いわゆる円卓会議)が開かれ、被告人は積極意見を具申したが、運転資金の融資が設備資金等に流用される懸念等も指摘され、右融資依頼については、信用保証協会の信用保証を得られない限り、応じられないとの結論が出された。また、この際、丁原コンクリートに対しては、現状での信用貸付は回避し、信用保証協会の信用保証が得られる場合のほか、資力のある保証人、物的担保が徴求できる場合に限り、融資することとし、手形割引についても、手形銘柄を選別して優良銘柄についてのみ応じるとの方針が決定された。

これを受けて、被告人は、Iに対し、銀行の方針で、今回の融資依頼には信用保証協会の信用保証が得られない限り応じられないこと、また、現状では信用貸付に応じることはできず、保証人又は物的担保が必要であることなどを伝えたが、同人は、なおも丙川銀行から信用貸付を受けることを希望し、保証人を用意するなどと答え、その後も、同行春日部支店との手形割引取引を継続し、実績を重ねて信用貸付の実現を図りつつ、割引依頼の都度、被告人に対し、「うちは、受注も多いし、大手のゼネコン相手だから大丈夫だよ。融資頼むよ。」などと声を掛けていた。

そうするうち、被告人は、丁原コンクリートは受注も多く、発注者も大手の建設会社などであるから融資が焦げ付くことはないだろうという考え方を強め、初めての新規開拓顧客である丁原コンクリートの要望に何とか応じてやりたいという思い入れや資産家であるIの義父の定期預金獲得にも有利に作用し、自分の成績向上につなげることもできるのではないかとの思惑もあって、Iの再三の融資依頼に何とか応えようと考え、同年一一月末ころ、Iに対し、「もう一度支店の検討会議にかけてみましょう。何とかなるかもしれません。やってみましょう。」などと申し向けた。

そして、被告人は、再び丁原コンクリートから融資依頼がある旨上司に伝えたものの、J副支店長から、同社の担保余力の問題が解決していないことなどを理由に、保証人や物的担保を徴求するなどしない限り融資ができない旨強く反対され、これ以上の検討を経るまでもなく、同社に対する信用貸付を実現することはできないとはっきり悟った。しかし、被告人は、J副支店長の意見に必ずしも納得しておらず、また、Iに対して信用貸付の見込みがあるかのように言ってしまった手前、これが実現できなければIの方でも困るであろうし、自らの面目も失ってしまうと考えて、Iに対し、信用貸付ができない旨言い出せなかった。

そして、被告人は、自分が担当する個人顧客であるE夫婦が比較的短期の定期預金で資産を運用しており、元本を使うことはないことに着目し、E夫婦が老齢で、しかも丙川銀行の行員である自分を厚く信用してくれていることから、E夫婦に対し、有利な運用方法があるなどと虚偽の事実を申し向けて定期預金の解約に応じさせ、これを原資に、丙川銀行の正規の融資であるかのように装って丁原コンクリートに不正に融資をすることを思いついた。そして、被告人は、不正なものであれ融資を実現できれば、Iに対して自己の面目は立つし、ここでIに恩を着せ、後から保証人を徴求して正規の融資に移行することができれば、自己の成績向上にもつながる上、不正融資も発覚しないであろうし、また、融資金は確実に回収できるであろうから、定期預金よりも高い金利を設定すれば、E夫婦にも迷惑はかからないであろうなどと思い巡らせ、これを実行に移すことを決意した。

被告人は、Iの融資依頼額二〇〇〇万円では多額に過ぎ、E夫婦も定期預金の解約等に応じないおそれもあると考え、不正に融資する金額を一〇〇〇万円にすることとし、同年一二月上旬ころ、E方において、F子に対し、「丙川銀行の関連会社の丙川投信(丙川投信投資顧問株式会社の略称)で有利な運用をしてみませんか。元本割れはしないし、金利も銀行の定期預金よりもずっとお得な一パーセントの固定金利です。運用利息も先渡しになり有利です。運用の目標があって一〇〇〇万円です。お願いします。」などと嘘を言って、E夫婦にその旨信用させた。

被告人は、右の際、F子に対し、「誰にでもできる商品ではないので、他の人に絶対に話さないで下さい。」「これは、募集期間があってたまたまキャンペーンがあったのですが、いつでもできる商品ではありません。」などと申し向けて、口止めするとともに、別の機会にこのような運用を申し込まれるのを防ぐ手だてを講じた。

被告人は、右のようにして、原資となる一〇〇〇万円の目途がついたことから、丁原コンクリートの事務所を訪問し、Iに対し、「銀行から一〇〇〇万円の融資の応諾がもらえた。」などと嘘を言って、丙川銀行春日部支店の正規の融資を装い、単名手形による手形貸付の形で一〇〇〇万円を不正に融資することとし、Iと話し合って、返済の時期を平成九年三月末日に決め、Iから、額面金額一〇〇〇万円の約束手形(振出日平成八年一二月一二日、支払期日平成九年三月三一日、丙川銀行を受取人とし、丁原コンクリートを振出人とする単名手形)の交付を受けた。

次いで、被告人は、平成八年一二月一二日、E方を訪問して、丙川投信の運用期間が平成九年三月末日までである旨伝えた上で、F子名義の定期預金証書を預かり、春日部支店に戻って、F子名義の一〇〇〇万円の定期預金(預入日平成八年一〇月二四日、満期日平成九年四月二四日、年利〇・四四パーセント)の中途解約手続をして、元利金合計一〇〇〇万三三〇八円を払い戻した。そして、これを原資として、九九三万五九五九円(融資金一〇〇〇万円から、これに対する年利二・一二五パーセントの割合による利息相当額を控除した金額に相当する。)を丁原コンクリートの普通預金口座に入金した。その後、被告人は、再度E方を訪問して、F子に対し、一〇〇〇万円の受取証、運用利息の計算書、先払運用利息相当額の現金等を交付した。

その後、被告人は、平成九年三月三一日ころ、Iから融資の返済として額面金額一〇〇〇万円の丁原コンクリート振出しの小切手を受け取り、同年四月一日、これを現金化して、一〇〇〇万円をE方に持参したが、F子から定期預金にしてほしいと言われたため、F子名義の定期預金を新規に作成し、受取証、利息計算書は回収した。

3  被告人が再び不正融資を行った経緯等

被告人は、平成九年六月ころ、Iから、丁原コンクリートの夏場の運転資金として三〇〇〇万円の信用貸付の依頼を受けた。被告人は、同年二月に春日部支店の支店長が交替し、K支店長が着任していたことから、K支店長であれば、受注明細等の検討資料を取り揃えて説明すれば、右信用貸付の了承を得られるかもしれないなどと考え、Iに対し、支店の幹部に相談する旨伝えた上で、最近の受注明細、資金繰表、損益計算書、貸借対照表等の検討資料の提出を求め、順次提出を受けていったが、その際、Iから「融資の方は頼みますよ。」と言われて、「何とかやってみましょう。」と答えたこともあった。

他方、K支店長は、着任以来、丁原コンクリートの手形割引申込が、これに応ずるか否かについてその都度支店内での協議が必要であるにもかかわらず、割引期日に切迫してなされるいわゆる「駆け込み」が多かったことなどから、同社の資金繰りがずさんであるとの印象を抱いていた(もっとも、「駆け込み」の大きな要因は、被告人が、Iから融資依頼を受けるのを回避するために同社の訪問を避けたり、被告人の事務処理手続自体が遅れがちであったりしたことであった。)ところ、被告人が、同年六月九日夕方に、翌一〇日に割り引くことが必要な丁原コンクリートの手形割引申込を協議に持ち込んだことから、同社の実態を知っておく必要があると考え、同月一〇日に同社を抜き打ち的に訪問し、その業況等を同社の常務から聴取した。その結果を踏まえ、同支店長が、それからまもなく、被告人らに対し、丁原コンクリートに対する融資に警戒感を示し、手形割引についても慎重に臨むべきことなどの所見を伝えたことなどから、被告人は、同社に対する信用貸付が現状では無理であることを悟り、一旦は、Iに対し、その旨を伝えたが、Iから、既に一〇〇〇万円の信用貸付を受けて、これを返済した実績があることなどを理由に信用貸付の実現を強く迫られた。

被告人は、やむなく、再度実現に努力する旨答えてその場を取り繕ったものの、正規の信用貸付を実現する見込みもなく、かといって、前回の融資が不正融資であることをIに打ち明けることもできず、また、信用貸付が実現できないとなると、Iが上司などに直談判に及び、そこから前回の不正融資が発覚するおそれもあったことなどから、前回と同様、E夫婦を騙して定期預金を中途解約させるなどし、これを原資に不正融資を行うほかないと考えるに至った。

そして、被告人は、Iの融資依頼額三〇〇〇万円では多額に過ぎ、E夫婦が定期預金の解約に応じてくれないおそれがあると考え、融資金額を二〇〇〇万円とすることとした上で、同年八月ころ、F子に対し、「前回お願いして協力してもらった丙川投信の運用の募集が来ていますが、今回は二〇〇〇万円で協力してもらえませんか。運用条件は前回と同じで元本割れはしませんし、金利が銀行の定期よりもお得な一パーセントの固定金利だというのも同じです。運用利息も先渡しです。お願いします。」などと嘘の依頼をし、その了承を得た。

そこで、被告人は、Iに対し、二〇〇〇万円なら融資できる旨伝え、差額一〇〇〇万円の融資依頼は断った。こうして、被告人は、丁原コンクリートに対し、平成一〇年一月末日及び同年二月末日に、各一〇〇〇万円を返済する約定で、前回同様単名手形による手形貸付の形で二〇〇〇万円を融資することとし、Iから額面金額二〇〇〇万円の約束手形(振出日、支払期日とも白地の単名手形)の交付を受けた。

それから、被告人は、E方を訪問し、E名義の定期預金証書とF子名義の定期預金証書を預かり、F子に対し、丙川投信の運用期限は、半分の一〇〇〇万円が平成一〇年一月末日であり、残りの一〇〇〇万円が同年二月末日であることを伝えた上、平成九年八月二〇日、E名義の金額一二〇〇万円の定期預金(預入日平成九年六月三日、満期日同年九月三日、年利〇・四七パーセント)の中途解約手続をして、元金のうち一〇〇〇万円を払い戻し(残りの元利金は、E名義の貯蓄預金口座に振替入金)、翌二一日、F子名義の一〇〇〇万円の定期預金(預入日平成九年四月一日、満期日同年一〇月一日、年利〇・五パーセント)の中途解約手続をして、その元金一〇〇〇万円を払い戻し、右払戻金合計二〇〇〇万円を原資として一九七八万九九〇五円(融資金二〇〇〇万円から、年利二・一二五パーセントの割合による利息相当額と印紙代相当額を控除した金額に相当する。)を丁原コンクリートの当座預金口座に入金した。被告人は、その後、E方を訪問して、F子に対し、一〇〇〇万円の受取証二通、利息計算書二通及び先払運用利息相当額の現金を交付した。

被告人は、丁原コンクリートから、平成一〇年二月二日及び同月二七日に一〇〇〇万円ずつ返済を受け、同月三日ころ、F子名義の貯蓄預金口座に一〇〇〇万円を入金し、同年三月二日ころ、E名義の一〇〇〇万円の定期預金を新規作成するなどし、前回同様、E夫婦に交付していた受取証、利息計算書を回収した。

4  被告人が三回目の不正融資を行った経緯等

被告人は、前記二〇〇〇万円の不正融資を実行した後も、Iから一〇〇〇万円の追加融資を求められており、平成九年九月初めころにも、Iから一〇〇〇万円の追加融資を求める電話がかかってきた。

当時、丙川銀行においては、同月末までの上半期の目標として、信用保証協会の信用保証付き融資の推進がうたわれており、支店単位の目標額達成のため、各渉外担当者は、信用保証付き融資の獲得に向けて営業努力を傾注していた。そのような状況の中、被告人は、埼玉県信用保証協会から丁原コンクリートの信用保証付き融資残高の減少を確認していたため、信用保証付き融資の実現をもくろみ、Iに対し、「信用保証協会の方に申込をしてみましょう。」などと答えた。

ところが、被告人は、最終的には正規の信用保証付き融資の実現をもくろんでいたものの、信用保証が付されるまでには時間がかかることから、その間、もう一度、E夫婦の定期預金を解約させるなどして、これを原資に不正融資を行えばよいと考えた。

そこで、被告人は、E方に赴き、F子に対し、「前回協力してもらった丙川投信の運用が、あと一〇〇〇万円で私の目標が達成できるので、協力してもらえませんか。」と嘘を言い、その了承を得た。

被告人は、不正融資の原資の目途がついたため、丁原コンクリートの事務所に赴き、Iに対し、信用保証付きで一〇〇〇万円の融資ができる旨申し向けるとともに、その申込に必要な書類の準備を依頼した。なお、被告人は、一〇〇〇万円の不正融資は、正規の信用保証付き融資実現までの約一か月間のつなぎ融資として、正規の丙川銀行の貸付を装って行い、信用保証付き融資自体の返済期限は、平成一〇年三月末日とすることなどをその心づもりとしていたが、Iに対し明確な説明を怠ったため、Iは、信用保証が行われる前につなぎ融資が行われることや、各融資の返済方法、返済時期等についての理解が十分でなく、ともかくも信用保証付き融資が行われることになる、そして信用保証付き融資ならば返済は三年ないし五年の長期の分割払いでよいのであろうといった程度のあいまいかつ誤解を含む認識しか持たなかった。

その後、被告人は、F子に対し、丙川投信の運用期限が平成九年一〇月一〇日である旨説明した上で、E名義の定期預金証書、通帳等を預かり、同年九月九日、E名義の貯蓄預金口座から五〇〇万円を払い戻し、翌一〇日、E名義の五〇〇万円の定期預金(預入日平成九年六月一〇日、満期日同年一二月一〇日、年利〇・三パーセント)の中途解約手続をして、その元金五〇〇万円を払い戻し、右払戻金合計一〇〇〇万円を原資として、九九八万一九五三円(融資金一〇〇〇万円から、これに対する年利二・一二五パーセントの割合による利息相当額を控除した金額に相当する。)を丁原コンクリートの当座預金口座に入金した。そして、被告人は、E方に赴き、従前と同様、F子に対し、一〇〇〇万円の受取証、利息計算書及び先払利息相当額の現金を交付した。

他方、被告人は、前記のとおり信用保証付き融資の申込手続に必要な書類を準備するよう依頼していたIから、順次必要書類を徴求していったものの、試算表等がなかなか提出されなかったことから、面倒になり、丁原コンクリートから平成一〇年三月末日に一〇〇〇万円が返済されれば問題はないなどと考えて、信用保証付き融資の手続を進めず、とりあえず、F子に頼んで、丙川投信の運用期限を平成九年一〇月一〇日から平成一〇年三月末日まで延期してもらい、追加の先払運用利息相当額の現金を交付するなどした。

五  被告人の株式会社戊田ルートサービスに対する不正融資の経緯等

被告人は、平成九年八月末ころ、株式会社戊田ルートサービス代表取締役Lから、千葉県内の土地を購入したいが、その資金について、丙川銀行から融資を受けられないかとの打診を受けた。

戊田ルートサービスは、コンビニエンスストアやホームセンターに対する商品配送等を業務内容とし、Lの自宅である埼玉県北葛飾郡《番地略》を本店所在地として登記していたが、営業の本拠は、同県春日部市《番地略》所在の同社春日部営業所であった。同社は、平成三年二月ころから、丙川銀行春日部支店を利用するようになったが、外回りの行員の訪問は余り多くなく、被告人は、同社の担当者ではあったが、何度か訪問したことがある程度でLとそれほど親しいわけではなかった。また、同社は、平成三年五月ころから、信用保証協会の根保証を受けて、五〇〇万円を限度額としてカードによって丙川銀行から自由に融資を受けることができる当座貸越制度(丙川事業性カードローン)を利用していたが、それ以外に丙川銀行から融資を受けたことはなかった。

Lは、営業所用地として、二七一五万円で売りに出されていた千葉県八街市内の土地(なお、同土地には、税務署による差押がなされていた。)の購入を検討しており、購入資金として必要な約二八〇〇万円のうち、約一一〇〇万円は自己資金でまかない、残りの一七〇〇万円を丙川銀行春日部支店からの融資で調達しようと考え、被告人に対し、その旨相談したのであった。

被告人は、購入土地を担保に差し入れれば、埼玉県信用保証協会の信用保証を得て一七〇〇万円の融資を実行することは間違いなくできると判断し、Lに対し、「信用保証協会の方に、購入する物件を担保に付けて申し込めば何とかできると思います。信用保証協会の方で借入れの手続をしましょう。売買の話を進めていいんじゃないですか。」などと申し向け、Lから信用保証の申込に必要な書類を順次徴求し、Lにおいては、丙川銀行春日部支店からの融資を受けられることを購入の条件とする旨の買付け証明書を発行するなどして、前記土地の購入手続を進めていった。

他方、被告人は、前記のように、当時丙川銀行で、信用保証付き融資の推進がうたわれており、春日部支店の目標額達成のための渉外会議が同月一六日ころ開かれたことから、その席上、戊田ルートサービスからの融資依頼を報告し、同社の購入予定土地が千葉県八街市内の土地であり、差押物件であることなども報告した。その結果、信用保証付き融資の実行の了承は得られたものの、K支店長から、千葉県八街市の土地を埼玉県信用保証協会が担保として受け入れるかどうか確認すべきこと、差押の解消にも十分留意することなどの指摘がなされた。

ところが、被告人は、前記土地を埼玉県信用保証協会が担保として受け入れるかどうかなどの確認を怠ったままこれを失念してしまい、また、信用保証の申込手続も進めていなかった。そして、被告人は、同年一一月二〇日ころ、Lから、売買契約締結の運びになったが、銀行からの借入れができることを契約書に記載しなければならないとして確認の問い合わせがあった際も、融資は大丈夫だなどと答えていた。

Lは、同年一二月一日、売主有限会社甲田エステートとの間で、前記土地の売買契約を締結し、手付金として五〇〇万円を支払い、被告人に売買契約書をファックス送信した。同じころ、被告人は、右土地の登記簿謄本をようやく入手し、右土地が京橋税務署の差押物件であることを確認し、H課長代理に、税務署の差押があるが、信用保証協会の担保として問題がないか相談したが、同人から、差押の問題もあるが、千葉県八街市は遠隔地なので担保にできるかどうかの問題もあるので、信用保証協会に相談するよう指導を受けた。しかし、被告人は、埼玉県信用保証協会に確認しないまま、戊田ルートサービスに対する融資につき、右土地を担保とする信用保証を得ることは難しいと独断し、信用保証が得られなければ、春日部支店として同社に融資することができなくなり、その結果、前記売買契約が破棄される可能性があり、そうなれば、同社に対して損害を与えるばかりではなく、信用保証申込手続を進めないまま、同社の前記売買契約手続を進行させたという自らの職務上の失態も発覚して、重大な責任問題に発展することが必至であると考えたが、かといって、信用保証なしの貸付に切り替えることは困難であり、また、無担保で信用保証を得ることもすぐにはできないとの考えの下に、当面は、平成九年八月に丁原コンクリートに対し不正に融資した二〇〇〇万円のうち、平成一〇年一月末日に回収予定の一〇〇〇万円を流用し、更にE夫婦から、定期預金を解約させるなどして七〇〇万円を捻出して、合計一七〇〇万円を準備し、これを原資に、戊田ルートサービスに対し、丙川銀行の正規の融資であるかのように装って、不正融資を行うしかないと決意するに至った。

そして、被告人は、平成九年一二月ころ、D課長には、戊田ルートサービスの土地購入は自己資金によることになったため融資が不要になった旨の虚偽の報告をする一方で、平成一〇年一月中旬ころ、Lから同年二月初めまでに融資してほしい旨依頼されたが、丁原コンクリートからの一〇〇〇万円の返済期限は同年一月末日であり、それ以降でないと不正融資の原資を捻出できないため、融資の時期をなるべく遅らせようと、Lに対し、同年二月初めは研修で一週間不在であるなどと嘘を言って、融資実行日の先延ばしを図り、結局同年二月一〇日に融資を実行することとした。

Lは、被告人の態度に不審を感じ、同月二日ころ、春日部支店に電話をかけ、これに出た女子行員に対し、匿名で被告人への取次を依頼したところ、被告人が電話に出たため、研修で不在であるとの被告人の説明が虚偽であることを確認し、再度同支店に電話をかけ、D課長に対し、被告人が同年二月初旬は研修のため不在であるなどと言っており、土地売買の決済日が先延ばしにされていることなどを伝えて、融資の実行の確認を求めた。ところが、D課長は、言葉の行き違いや被告人の従前の報告から、Lの電話が土地購入自体の手続に関するものと誤解し、被告人から、司法書士や応接室の手配も済んでいることなどの説明を受けた上、同社に電話をかけ、これに出たLの妻に対し、問い合わせの件については大丈夫である旨Lに伝言するよう依頼した。

他方、被告人は、同年二月二日に、丁原コンクリートから現金で一〇〇〇万円の返済を受け、返済された証拠とするため、一旦同社の普通預金口座に入金した後、直ちに払い戻し、これを持参してE方に赴いた。そして、被告人は、F子に対し、「丙川投信の運用が期日になったのでお返しに来ました。」などと申し向けた上で、「今月も丙川投信での運用目標があり、私は一七〇〇万円運用すれば目標が達成できるので、一七〇〇万円協力してもらえませんか。条件は前回のときと同じで年利一パーセントの利息は前渡しです。」などと嘘を言ったところ、F子は、これを信じ、被告人の話を了承した。

そこで、被告人は、一旦F子名義の貯蓄預金口座に入金することの了承を得て、右一〇〇〇万円を持ち帰るとともに、預金通帳を預かり、また、この際、同年一月末日返済分の一〇〇〇万円の受取証と利息計算書を回収した。

被告人は、同年二月四日、右通帳の返却のため、E方に赴き、その際、F子と、あと七〇〇万円をどのように捻出するかについて相談し、結局前記貯蓄預金口座に八五万円を追加入金し、そこから一一〇〇万円を払い戻し、残りの六〇〇万円は、E夫婦の定期預金を中途解約して捻出することとした。そして、被告人は、現金八五万円、通帳等を預かるとともに、F子に対し、一七〇〇万円の運用期間は、同月五日から一か月間とし、翌日に受取証、利息計算書、運用利息を持参する旨言って、春日部支店に戻った。

被告人は、翌五日、F子名義の貯蓄預金口座に八五万円を入金した上で、同口座から一一〇〇万円を払い戻し、F子名義の五〇〇万円の定期預金及びE名義の一〇〇万円の定期預金の中途解約手続をして、元金合計六〇〇万円を払い戻し、E方に、一七〇〇万円の受取証、利息計算書、先払運用利息相当額の現金を持参して、F子に交付した。

同月一〇日、丙川銀行春日部支店の応接室に戊田ルートサービスの前記土地売買契約の関係者が集まり、売買代金決済等の諸手続が行われたが、被告人は、その際、右のように調達した一七〇〇万円を原資として、同社の普通預金口座に一六九五万三九一八円(融資金一七〇〇万円から、これに対する年利二パーセントの割合による二八日分の利息相当額及び印紙代相当額を控除した金額に相当する。)を入金し、(弁済を長期分割で行う)丙川銀行の正規の融資であるかのように装って、同社に対する不正融資を実行した。

被告人は、一か月のうちには、何とか無担保で信用保証を得て、右不正融資を正規の信用保証付き融資に移行させたいとの心づもりもあったが、結局、全くその手続を進めなかった。

そのため、被告人は、同年三月二日にE名義の一〇〇〇万円の定期預金証書(同年二月二七日に丁原コンクリートから返済された一〇〇〇万円を原資として作成したもの)等をE方に持参した際、F子に対し、「三月五日が支払期日になっている一七〇〇万円は、このまま引き続き丙川投信の運用でやらせてもらえませんか。期日の方は、三月末日まででお願いできませんか。」などと頼み、F子からその旨了承を得て、同月五日に、受取証、利息計算書、先払運用利息相当額の現金をE方に持参し、F子に交付した。

六  被告人がE夫婦の殺害を考えるに至った経緯等

被告人は、右のような経緯で、E夫婦に対し、平成一〇年三月三一日を期限として、合計二七〇〇万円を返済しなければならないこととなった。被告人は、同月二〇日ころ、丁原コンクリートに対し、返済の確認の電話を入れたが、Iは、前記のように、一〇〇〇万円の追加融資が信用保証付き融資であり、返済方法が長期分割であると理解していたため、同月末日に一括返済する予定を立てていなかった。

被告人は、同月末日にE夫婦に一〇〇〇万円を返済することにより、目途が立たない残りの一七〇〇万円の返済期限の繰延べを申し入れようと考えていたので、何とか同社から返済を受けようと考え、Iに対し、強く返済を求めたが、結局同年四月末日まで返済を猶予することで折り合わざるを得なかった。

被告人は、結局二七〇〇万円の返済の目途が全く立たないまま、同年三月二五日ころ、E方に赴き、F子に対し、「今回、運用期日になる一七〇〇万円と一〇〇〇万円の二件については、引き続き丙川投信での運用を継続してくれませんか。」と依頼したところ、F子から、元本は大丈夫なのかと尋ねられるなどしたものの、結局運用期間延長の了承を得た。

そこで、被告人は、F子に対し、一〇〇〇万円の返済期限を同年七月末日、一七〇〇万円の返済期限を同年五月末日とするよう頼んだが、F子から、金額の大きい一七〇〇万円の方は同年四月末を期限とするようはっきり言われたため、合計二七〇〇万円のうち、戊田ルートサービスに対する不正融資に使用していた一七〇〇万円は同年四月末日に、丁原コンクリートに対する不正融資に流用していた一〇〇〇万円は同年七月末日に返済することとなった。

そして、被告人は、同年三月三一日、新たな受取証、利息計算書、先払運用利息相当額の現金をE方に持参して、F子に交付するとともに、前に交付した受取証、利息計算書を回収したが、この際、F子から、一七〇〇万円は同年四月末日に間違いなく現金にして持ってくるよう念を押された。

被告人は、戊田ルートサービスに対する融資について、同年五月初めころには信用保証の申込をし、何とか同月末までには同社に対する正規の信用保証付き融資を実現しようと考えており、同年四月末日に丁原コンクリートから一〇〇〇万円の返済を受けて、これをE夫婦に対する一七〇〇万円の返済の一部に充て、残りの七〇〇万円については、E夫婦に懇願して何とか返済期限を引き延ばそうと考えていた。

ところが、被告人が、同年四月二〇日ころ、Iに対し、同月末返済期限の一〇〇〇万円の返済を催促したところ、Iは、これに応じないばかりか、逆に一〇〇〇万円の追加融資を依頼する始末であった。

被告人は、右のように、同月末日にE夫婦に一七〇〇万円を返済する目途が全く立たなくなったため、同月二一日ころ、E方に赴き、F子に対して一七〇〇万円の返済期限の延期を懇願したが、F子から、ゴールデンウィークに自宅の外壁の塗装工事をするので、業者に支払う金が必要だとして、一七〇〇万円の返済期限は同年四月末とするよう言われ、更に懇願し、F子が最低限必要な現金と言う二〇〇万円は同年四月末に持参するが、残りの一五〇〇万円は同年五月二五日まで運用を継続することで渋々ながらも了承を得た。

被告人は、これを受けて、Iに一部弁済を迫り、同年四月三〇日に三〇〇万円の返済を受け、そのうちの二〇〇万円をE方に持参して(残りの一〇〇万円については、賞与が支給されるまでの間、自己の使途に流用しようと考え、二〇万円を手元にとどめ、残り八〇万円を自己の普通預金口座に入金した。)、一五〇〇万円の受取証、利息計算書、先払運用利息相当額の現金とともにF子に交付し、前回の受取証等を回収したが、F子から、返済分二〇〇万円をE名義の普通預金口座に入金するよう指示を受けた際にも、約束の期日に一五〇〇万円を必ず現金化するよう釘を刺された。

他方、被告人は、平成九年九月ころ、有限会社乙野建築工業の経理担当者から、自動車を二台購入するための資金として三〇〇万円の融資依頼を受けていたが、自動車の売買契約や納車が済んだ後も融資手続を進めるのを怠っていた。そして、被告人は、同社の経理担当者から催促されて、信用保証協会の信用保証を条件に融資することにして、関係書類を同社から徴したものの、その後も手続を進めることなく放置していたところ、平成一〇年五月の連休明けになって、被告人の上司らは、たまたま同社の経理担当者から聞いた話をきっかけとして、被告人が右手続を放置していることを知った。そこで、被告人の上司らは、被告人から関係書類を取り上げ、被告人を指揮して右案件を処理したのであるが、その過程で、被告人がその書類ボックスにとっくに返却していなければならない戊田ルートサービスの信用保証申込の関係書類も保管していることを発見したことから、被告人に告げることなくこれを取り上げ、D課長が保管の上機会を見て同社に赴いて返却することになった(ただし、Dは、被告人が既に終わった案件に関する書類の返還を怠っているにすぎないと思っており、右書類を大至急に返却する必要があるとは思っていなかったこと、同年五月下旬ころ、一度、右書類を返却しに同社を訪ねたことがあったものの、たまたま留守であったため、これを果たせずに右書類を持ち帰ったこと、その後同社に電話をかけたこともあったが、その際も留守であったこと、同年六月八日から同月一九日まで、入院して手術を受けるため、欠勤したことなどの事情が重なり、結局本件犯行時まで右書類を返却しないまま自己のキャビネットで保管していた。)。

右書類が取り上げられて以降、被告人は、右書類がDのキャビネットに保管されているのを見て、Dがこれを返却するため同社に赴いて同社関係者に接触すれば自らの不正融資が発覚するのではないかと気が気ではなかったが、Dが同年六月八日ころから約二週間手術のため入院する予定であると聞いていたことから、その間に右書類を持ち出して、信用保証申込手続をしようなどと考えていた。

ところで、E夫婦に対する一五〇〇万円の返済期限は前記のとおり同年五月二五日と決められていたのであるが、右期限が迫っても、Iと連絡が取れず、融資金の回収もできなかった。そこで、被告人は、E夫婦に再度返済期限を延期してもらうしかないと考え、同日ころ、E方に赴き、F子に対し、丙川投信の担当者から運用期限の延長を頼まれているので、何とか延長に応じてほしいなどと必死に懇願し、F子から、今回が本当に最後であり、これ以上の延長はしないと言い渡された上で、同年六月末までの運用期間延長の了承を得た。そして、被告人は、F子に対し、新たな一五〇〇万円の受取証、利息計算書、先払運用利息相当額の現金を交付し、その際も、F子から、「これが最後ですから、必ず約束を守って下さい。六月三〇日には本当にお願いしますよ。」などと念を押された。

被告人は、平成一〇年六月八日に予定どおりD課長が入院したことから、同月一〇日ころ、D課長が保管していた戊田ルートサービスの書類を無断で持ち出したが、既に返却物件授受票に必要事項が記入され、同社から返却受領印を押してもらうだけの状態になっていたので、これを使用して、信用保証の申込をすることはできないことが判明し、E夫婦に対し、当面返済期限の到来する一五〇〇万円を返済する途が閉ざされたことを悟った。

被告人は、これ以上一五〇〇万円の返済期限を延期してもらうことは、F子の様子から不可能であり、再度懇願すればF子から不審に思われて、勤務先に連絡され、自らの不正融資が発覚してしまうであろう、そればかりでなく、春日部支店における勤務が二年を超えた自分は同年七月一日内示の人事異動の対象となる可能性が極めて高いが、もし異動するのであれば、仮に一時的に返済期限を延期させることができても、結局不正融資の発覚は免れないであろう、かといって、E夫婦に全てを打ち明けて許しを乞うてもE夫婦が絶対に許してくれないであろうからそのようなこともできないとか、勤務先に不正融資が発覚すれば、当然勤務先を解雇されるであろうが、不祥事で懲戒解雇されたとなると、自分だけでなく家族も世間から白い眼で見られるであろうし、再就職もままならず、親子四人が路頭に迷うことになるであろう、しかし、これには耐えられないなどと思い悩むうち、自分が不正融資の原資捻出のためにE夫婦の定期預金等を解約するなどしていることは、自分とE夫婦しか知らず、その証拠となる受取証や利息計算書も回収しているのであるから、E夫婦を殺害して、その手元に残っている証拠書類を回収すれば、不正の発覚を免れることができるし、E夫婦に返済する必要もなくなる、また、自分や家族のためにはそうするほかないなどと思い詰め、E夫婦の殺害を考えるようになった。

七  犯行前日までの被告人の行動等

被告人は、一五〇〇万円の返済期限である平成一〇年六月三〇日までにE夫婦を殺害しなければならないと考えていたが、同月二五日にE方を訪問した際も、翌二六日E方を訪問した際も、F子から同月三〇日の返済を念押しされたため、E夫婦を殺害しなければならないとの思いを更に強めた。しかし、同日になっても殺害方法等をまだ考えずにいた。

そこで、被告人は、何とか返済期限を二、三日延長してもらい、その間に殺害方法を考えることにしようなどと思案しながら、同日午後二時ころ、E方に赴き、F子に対し、「今日が丙川投信の運用期日ですが、今週末の七月三日まで延ばしてくれませんか。七月に入ってやった方が丙川投信の実績になるのでお願いします。」「私も転勤になると思いますから、最後のお願いだと思ってよろしくお願いします。」などと懇願に懇願を重ね、渋るF子から、ようやく同年七月二日まで返済期限を繰り延べることの了承を得た。

被告人は、この機会に、受取証や利息計算書を回収しようと考え、F子に対し、「七月二日で手続をとっておきますから、受取証と計算書をお預かりします。」などと申し向けて、一七〇〇万円の受取証等を回収し、証拠書類が手元になくなることに不安を感じて、「預り証みたいなものはないの。」と言うF子の求めに応じ、預り証の代わりとして、自分の名刺の裏面に同年七月二日に現金一五〇〇万円と利息を持参する旨をボールペンで書いて渡した。更に、被告人は、F子が席を離れた隙に、書類の入った風呂敷包みの中から、平成一〇年七月末日を期限とする一〇〇〇万円の受取証、利息計算書を探し出し、これを抜き取って回収し、これにより、被告人がE夫婦から金員を預かっていることを示す物は、前記名刺のみとなったため、この名刺は是が非でも回収しなければならないと考えた。

被告人は、E方から春日部支店への帰途、E夫婦が就寝後に、E方に放火して家ごとE夫婦を焼殺してしまえば、前記名刺も焼失し、自らの不正も発覚するおそれがなくなるなどと考え、同日夜、コンビニエンスストアで、放火に使用するため、サラダ油、発光ガスマッチ(チャッカマン)、タオル地のハンカチ二枚、ゴム手袋を購入した上、E方に赴いたが、戸締まりが厳重である上、点火したハンカチを投げ込めるような隙間も見当たらなかったことなどから、放火してE夫婦を焼殺することを断念して帰宅した。

同年七月一日、被告人は、午前八時一五分ころ出勤したが、同僚のMから、F子から電話があったことを聞き、F子に電話をかけたところ、F子から、被告人が前日に約束どおり現金を持参しなかったことや預り証が名刺の裏にボールペンで書いたものだけだったことで不安に駆られ、考え込んで夜も眠れなかったなどと述懐され、F子が銀行にまで電話をかけてきて強い疑念を表明する事態となった以上、一刻も早くE夫婦を殺さなければならないと一層追い詰められた気持になった。

そして、被告人は、E夫婦を紐で絞殺するのが簡単で確実だと思い、その旨決意してE方に向かい、同日午後二時一八分ころ、途中立ち寄った埼玉県南埼玉郡宮代町川端三丁目六七番一号所在のセキ薬品姫宮店で紐を購入した。

被告人は、右紐を集金鞄の中に携行してE方に赴き、F子が電話の際と同じことを繰り返したので、「明日ちゃんと手続をとってくるから大丈夫です。今日もちゃんと顔を見せに来たから安心したでしょう。」などとF子を安心させようとしたが、F子は、「少しは安心したけど、お金の方、明日絶対にお願いしますよ。」などと応じた。被告人は、E夫婦と雑談を交わしながら、殺害の機会を窺ったものの、なかなか実行に踏み切れず、返済期限は明日だから、明日決行しようなどと考えて、E夫婦に対し、「明日は午前中に手続をとってお昼ころに来ます。」などと言って、E方を辞し、営業用自動車のダッシュボードに前記紐を入れておいた。

被告人は、その後、春日部支店に戻ったが、かねて覚悟していたとおり、同日夕方、同月一〇日付けで丙川銀行融資部詰めで住宅債権買取機構に出向を命ずるとの内示を受けた。

【犯罪事実】

被告人は、株式会社丙川銀行春日部支店の渉外担当行員であったが、右のとおりの経緯で、自己が担当していた個人顧客であるE、F子夫婦に対し、同行の関連会社の丙川投信投資顧問株式会社で有利に運用できるなどと偽り、その旨信用したE夫婦の定期預金を中途解約させるなどして預かった金員を、無断で、自己の担当していた法人顧客である株式会社丁原コンクリート及び株式会社戊田ルートサービスに対し、丙川銀行の正規の融資であるかのように装って、不正に融資していたところ、融資金の回収に窮するようになって、E夫婦からの多額の預り金の返済の目途が立たなくなり、あれこれ口実を設けて返済期限を繰り延べたりしていたものの、右預り金の返済の目途が立たない以上、不正融資の発覚を免れるためには、E夫婦を殺害して、証拠書類を回収し、右預り金(その最終残高は合計二五〇〇万円)の返還債務の存在を不明にして、その返済を免れるほかないと思い詰めるに至っていた。そして、被告人は、F子に対して平成一〇年六月三〇日に返済を確約していた一五〇〇万円の返済ができなかったため、F子からその返済を強く迫られ、必死に懇願して何とか同年七月二日まで返済期限を繰り延べるとともに、自己の名刺の裏面に同日に現金一五〇〇万円及び利息を持参する旨記載し、これをF子に交付したが、返済期限を更に繰り延べることは到底できないと悟っており、同日までに一五〇〇万円を調達する目途も全く立たず、同月一日朝に同支店に電話してきたF子から、被告人に対する強い疑念が表明され、更に、同日夕方には同月一〇日付けで出向の内示を受け、同支店を離任する日がいよいよ切迫してきたことなどもあって、このままでは、自己の不正がE夫婦に発覚して二五〇〇万円全額の即時返済を迫られるばかりか、同支店にも通報されて勤務先にも発覚し、自らが懲戒解雇されることは必至であるが、懲戒解雇は自己や家族のためにも絶対に避けたいなどと考え、改めて、不正の発覚を免れるためには、E夫婦を殺害し、前記名刺を強取し、前記二五〇〇万円の債務の存在を不明にして同債務の支払を免れるほかないと強く決意した。

そこで、被告人は、同年七月二日午前一〇時三〇分ころ、春日部支店を自動車で出発して姫宮駅方面へ向かい、同駅付近のスーパーかわいち姫宮店駐車場に駐車し、同車のダッシュボードに入れてあった未開封の前記紐を取り出して、包装パッケージの袋口を破ってから、これを背広のポケットに入れて携行し、「肩を揉むと称してF子の背後に回り、同女を紐で絞殺し、しかる後、目が見えないEを紐で絞殺しよう。」などと殺害の手順を思案しながら、同所から約四〇〇メートル歩いて、同日午前一一時ころ、埼玉県南埼玉郡《番地略》E方に到着し、通された一階リビングルーム(広さ一〇畳)で、F子から「あら、もう手続をしてきたの。」と尋ねられたのに対し、「いや、今から手続をとってくるんですよ。今まで大変ご迷惑かけました。やっぱり私、今日転勤になりました。」などと答えたのを皮切りに、同女と二〇分くらい雑談するなどした後、同女に対し、「私も転勤でいなくなりますから、最後に親孝行のつもりで肩を揉ませて下さい。」などと持ちかけ、当初遠慮していた同女に対し、「最後だから揉ませて下さい。」などと更に申し向けて、同女をリビングルーム中央付近の座椅子に座らせ、五分間ほど肩を揉んだ。

そして、被告人は、いよいよE夫婦殺害を決行することにし、同日午前一一時三〇分ころ、同所において、「ちょっと待ってて。」などと言いながら、所携の前記紐(長さ約三メートル、太さ約六ミリメートル、材質アクリル)を背広のポケットから取り出し、滑らないように紐を両手に巻き付けた上、F子(当時六七歳)に対し、いきなりその背後から紐をその頚部に掛け、これを更に一回りその頚部に巻き付けてから両手で左右に力一杯引っ張り、同女が紐の間に指を挟んだので、一旦緩めて締め直そうとし、同女が動いて紐の位置がずれ、同女の口の中で紐が交差した状態となったが、そのまま締め続け、その後、再度紐を緩めて、これを同女の頚部に掛け直し渾身の力を込めて左右に引っ張ってその頚部を締めつけ、よって、そのころ、右リビングルームにおいて、同女を絞頚による急性窒息によって死亡させて殺害し、引き続き、盲目のE(当時七四歳)に対し、「私の肩の揉み方が悪かったのか具合が悪くなったみたいなので様子を見てあげて下さい。」などと申し向けて、倒れているF子の近くまで呼び寄せ、その隙にリビングルーム南側のカーテンを閉めて外から室内の様子が見えないようにした上、EがF子の足の辺りをさすりながら「どうしたんだ。どこか具合が悪いのか。」などと話しかけている間にEの背後に回り込み、いきなり前記紐をその喉の辺りに掛け、その頚部の後ろで腕を交差させて力一杯引っ張り、隣の和室八畳間まで引きずっていって、同人を引き倒し、更に膝をついた態勢で紐を持ち変えるなどしつつ、その頚部を締め続け、よって、そのころ、右和室において、同人を絞頚による急性窒息により死亡させて殺害し、右和室内から前記名刺一枚を探し出してこれを強取するとともに、前記二五〇〇万円の債務の支払を免れて財産上不法の利益を得た。

【証拠】《略》

【法令の適用】

一  罰条 各被害者ごとに、刑法二四〇条後段

一  刑種選択 いずれも無期懲役刑

一  併合罪の処理 刑法四五条前段、四六条二項本文、一〇条(犯情の重い福田次郎に対する罪の刑で処断し、他の刑を科さない。)

一  未決算入 刑法二一条

【補足説明】

弁護人らは、本件犯行について、<1>被告人が奪取した被告人の名刺(表面に被告人の氏名、連絡先等が印刷され、裏面に「七月二日に現金一五〇〇万円と利息を持参します」旨被告人が自書したもの)は価値が乏しく、刑法二四〇条後段の強盗殺人罪の法定刑の重さを考えれば、その財物性は否定されるべきである旨、<2>被害者F子が近親者や隣人に「銀行員に金を預けている。」などと話していたことなどに照らすと、被告人は被害者両名を殺害することによって、一時的に債権の追及をかわしたにすぎず、債権の追及を不可能もしくは著しく困難にしたものではないのであるから、二五〇〇万円の債務の返済を免れて財産上不法の利益を得たということはできない旨主張して、強盗殺人罪の成立を争っている。

そこで、まず、右<1>の主張から検討するに、法定刑が相違するからといって、強盗殺人(致死)罪、強盗致傷罪、強盗罪、窃取罪などのそれぞれにいう「財物」の意義を区々に解すべき合理的根拠がないことは多言を要しない。そして、右名刺は、一五〇〇万円という多額の債権に関する唯一の証書であり、預り金証書の性質を有していたのであるから、社会通念上刑法の保護に値する価値を有するといわなければならず、その財物性は優に肯認できる。その価値が取るに足りないようなものでないことは、被告人がこれを回収するために被害者両名の殺害を企てたこと自体からも明らかである。したがって、弁護人らの右<1>の主張は、採用できない。

次いで、右<2>の主張について見るに、そもそも、債務者が債務の支払を免れる目的で債権者を殺害した場合において、履行期が到来もしくは切迫などしているときは、殺害により債権者自身や債権の相続人等による速やかな債権の行使を相当期間不可能ならしめることができるのであるから、債権者に支払猶予の処分行為をなさしめたのと実質上同視しうる現実の利益を得ることになり、債務者は財産上不法の利益を得たと認めうるのである。したがって、一時的に債権の追及をかわしたにすぎないとして、財産上不法の利益を得たことを否定する弁護人らの主張は、それ自体失当というべきである。しかのみならず、本件においては、被告人は、判示のとおり、自己の不正の発覚を防ぐため、E夫婦に対し、架空の資金運用方法に関して他言を禁じ、債権の存在、内容等を証する書類をことごとく回収するなどし、E夫婦の手元に唯一残った書類である前記名刺を、両名殺害後速やかに奪取しているのであって、これらの事実に徴すれば、被害者両名の殺害の結果、被告人に対する債権の存否、内容等は不明になったということができるから、被告人が、合計二五〇〇万円の債務の支払を免れ、財産上不法の利益を得たことは明らかである。なお、Nの警察官調書《甲65》によれば、F子の弟で、新潟県在住のNは、平成八年の一一月ころから年末ころまでの間に、「私は六〇〇〇万円くらいの金を持っている。」とF子から聞かされた上で、F子が銀行と言ったか銀行員と言ったか覚えていないが「金を預けてあるんだが、それが取れない。」などと相談されたのを覚えていたこと、また、O子の検察官調書《甲66》によれば、E方の近隣住民で、平成一〇年六月ころから、洋裁が縁でF子と親しくなったO子が、同年七月一日に「銀行員にまとまったお金を預けていて、それが六月三〇日になったらおりるはずなのに六月三〇日になっても『あと、二日待ってくれ』なんて言って名刺の裏なんかに約束を書いたりするので、心配で眠れない。」などとF子から打ち明けられたことがそれぞれ認められるが、右のような茫漠とした話があったからといって、これだけでは、債権の存否、内容等を確定することが不可能であることは明らかである。また、弁護人らは、被告人の早期検挙は、E夫婦の被告人に対する債権の存在が明らかになったことに基づくと指摘するが、債権の存在を窺わせる前記の如き事情が被告人の早期検挙につながったとしても、これによって、債権の存否、内容等を確定することができないことは、前述のとおりであるし、むしろ、債権の存否、内容等は、被告人の捜査官に対する供述により、初めて具体的に解明されたと認められるのであるから、右指摘は、正鵠を得たものとはいえない。したがって、弁護人らの<2>主張も採用できない。

以上のとおりであるから、被告人の判示各所為が強盗殺人罪に該当することは明白といわなければならない。

【量刑の理由】

一  本件は、判示のとおり、大手都市銀行の渉外担当行員であった被告人が、担当していた顧客の老夫婦に対し、架空の運用方法を持ちかけて定期預金を中途解約させるなどして、同夫婦から金員を調達し、これを、銀行の正規の融資であるかのように装って、担当していた資材会社や運送会社に不正に融資していたが、その回収に窮し、同夫婦に対する返済の目途が立たなくなって、返済期限の繰延べをするなどしているうちに、次第に追い詰められ、ついには、不正の発覚を免れるためには、同夫婦を殺害して、債権証書の性質を有する名刺を回収し、返済を免れるほかないと決意し、同夫婦の自宅居室において、同夫婦を、妻、夫の順に相次いで絞殺し、右名刺を強取するとともに、二五〇〇万円の債務の返済を免れて財産上不法の利益を得たという強盗殺人の事案である。

二1  本件犯行の動機は、判示のとおり、不正融資の回収に窮し、E夫婦に対して二五〇〇万円を返済する目途が立たなくなった被告人が、このままでは、自己の不正がE夫婦に発覚して二五〇〇万円全額の即時返済を迫られるばかりか、その通報により勤務先にも発覚して自らが懲戒解雇されることも避けられないと考え、不祥事を起こして懲戒解雇されることは自己や家族のためにも絶対に避けたいなどと強く思う余り、犯行を決意し、これに及んだというものである。右のような動機は、自らが招いた窮境を、被害者両名の生命を犠牲にして打開しようとしたものであって、極めて自己中心的かつ短絡的なものであり、酌量の余地が全くないことは明らかである。

2  本件犯行の背景をなす不正融資の顛末を見ても、その情が甚だ芳しくないことは、以下に述べるとおりである。

まず、被告人が不正融資に手を染めた経緯等について検討するに、被告人は、運転資金の信用貸付を希望する資材会社の代表者の再三の融資依頼に応えて、多少は実現の見込みがあるかのように言ってしまったことなどから、その後、銀行として信用貸付ができないと分かったものの、これを右代表者に伝えることができず、同社に対する資金回収は確実であろうとの独自の判断や初めての新規開拓顧客に対する思い入れ、成績向上の打算が加わって、不正融資に踏み切ったというのであるが、これが銀行員としてあまりに非常識で職業倫理を欠いた行動であったことは明らかである。すなわち、被告人の不正融資は、金融に精通しているわけではないE夫婦を騙して原資を調達する一方、右資材会社に対しても、銀行の正規の融資であるかのように装って融資するという二重の瞞着を犯すものであって、これ自体で懲戒解雇が当然予想される重大な不正行為である。それにもかかわらず、被告人は、右代表者に対し、信用貸付は時期尚早である旨率直明確に伝えれば、さしたる紛糾もなく事態を収拾できたと思われるのに、その場しのぎの不正融資を思いつき、極めて安易にこれに踏み切っているのである。また、金融機関においては、融資の可否は、収益状況、担保余力、経営者の資質、取引実績、資金使途等を慎重に審査し、回収保全等にも十分留意し、総合的に判断して決せられるべきものであることはいうまでもないところ、丙川銀行春日部支店では、判示のとおり、平成八年八月ころ、右のような観点から、検討会議が開かれ、同社に対しては信用貸付はしないという対処方針が決められたのであるから、担当者たる被告人としては、同社に対する融資を実現したいというのであれば、右方針に従って、右実現に向けた努力を積み重ねるのが採るべき方途であったのである。しかるに、被告人は、そのような努力をしないまま、正規の融資を簡単に断念し、不正な融資を実行しているのである。更に、同社の取引先は大手建設会社などが多いから、無担保で融資しても回収は確実であろうと見込んだことも、堅実を旨とすべき銀行員の判断としては、極めて甘いものであったことは明らかである(同社との取引の浅さを考えただけでも、春日部支店の前記方針が、金融機関として理にかなった判断であることは肯定できよう。)。そればかりか、第一回の不正融資が同社に切実な資金需要が生じる夏場の季節資金ではないことなどに照らすと、被告人は、同社の資金需要すら適切に把握してなかったことさえ窺われるのである。これらからすると、被告人が不正融資に踏み切ったのは、被告人の銀行員としての職業倫理及び適性の欠如と場当たり的で計画性を欠く被告人自身の資質に基づくものと断ぜざるを得ない。

次に、不正融資金の回収に行き詰まった経緯を見ても、遺憾な点が甚だ多い。すなわち、被告人は、近い将来、信用保証付き融資を実現する心づもりで、そのつなぎ融資として、資材会社に対する三回目の追加不正融資及び運送会社に対する不正融資を行っているのであるが、右各融資の原資を作るためにE夫婦を騙すことを極めて安易に決断している上、<1>右各融資は、近い将来信用保証を得て正規の融資に振り替えられるとの確実な保証などなかったのに、無担保で、一〇〇〇万円あるいは一七〇〇万円という多額を融資するというものであったこと、<2>特に、右資材会社に対する融資は、当時二〇〇〇万円もの無担保融資の残高があったのに、更に上乗せして一〇〇〇万円の無担保融資をするというものであったこと、<3>右資材会社に対する融資について、その融資金はE夫婦から預かった金員を流用するものであった以上、E夫婦から許された運用期限内に確実に回収することが絶対必要であったから、右融資にあたっては、同社の代表者に対して、右がつなぎ融資であることや、その返済方法、返済期日、更には、右融資金は信用保証付き融資が実現するか否かにかかわらず遅れずに返済すべきものであることなどをきちんと説明しておくべきなのに、これを怠ったまま右融資を行っていること、<4>運送会社に対する融資についても、右融資金の原資はやはりE夫婦から預かった金員であったから、E夫婦から許された運用期限内にこれを確実に回収することが絶対条件であったのであり、そのためには、右融資がつなぎ融資であり、信用保証付き融資は未だ実現していないことなどを右運送会社の代表者に説明するとともに、右運用期限に合わせた短期の返済期日を設定し、右融資金は信用保証付き融資の成否にかかわらず右期日に遅れずに返済すべきことを了解させておくなどの策を講じる必要があったのに、このような策を講じるどころか、長期分割で弁済する融資であるかのように装って右融資をしたことなどに照らして明らかなように、右各融資ともE夫婦から許されていた運用期限内に各融資金を遅滞なく回収できない事態が発生しても何らおかしくない極めてずさんなものであったということができるのである。また、被告人は、右のとおり、信用保証を得て正規の融資に振り替える心づもりで右各融資をしたのであり、かつ、各社の代表者に対して、右各融資にあたって、未だ信用保証付き融資が実現していないことや、信用保証付き融資の成否にかかわらず短期間に各融資金を返済してもらわねばならないことなどをきちんと説明してはいなかったのであるから、右各融資の後、何としてでも信用保証付き融資を実現させるべく努力してしかるべきであるのに、真剣に努力しようともせずに徒に時を経過し、そのような中、被告人から明確な説明を受けていなかったのであるから当然のことではあるが、資材会社の代表者が追加融資を一括返済する準備をしていなかったなどの事態が生じ、E夫婦に懇請して返済期限を少し先延ばしてもらうなど一時しのぎを繰り返したものの、結局、最後には行き詰まったのである。このように、不正融資が破綻に至った経緯を検討しても、被告人の非常識ぶり、無責任ぶりは顕著というほかなく、また、右破綻は被告人の自業自得と評するほかないのである。

3  本件犯行は、判示のとおり、確定的殺意に基づいて行った犯行であることは明らかである。また、被告人は、平成一〇年六月三〇日に、E夫婦の焼殺を企図して、着手にこそ至らなかったものの、その晩、サラダ油等を用意して、E方に赴いていること、犯行の前日も、E夫婦を殺害するための紐を購入し、これを携行してE方に赴いていること、被告人は、犯行当日、E方から相当離れた場所で駐車し、右のように事前に購入準備した紐を、殺害の際すぐに取り出せるように包装パッケージの袋口を破った上で、背広のポケットに入れて携行し、殺害の手順などを事前に思案して、そのとおり実行していることなどからすれば、本件犯行が、計画的な強盗殺人であることは明らかである。

殺害の態様については、本件は、判示したところから明らかなように、無抵抗かつ無防備な老夫婦を相次いで殺害した残虐非道、卑劣かつ冷酷な犯行といわなければならない。E夫婦は、被告人が再三にわたり返済期限の繰延べを依頼することなどに不審を抱いたにしても、被告人の人間性に対する信頼を最後まで失ってはおらず、さればこそ、「最後の親孝行のつもりで、肩を揉ませて下さい。」などという被告人の言葉に従って、F子は被告人に肩を揉ませたのである。被告人は、その信頼につけ込んで、Eの目が見えないことをいいことに、F子を真っ先に殺害し、しかる後に、Eをも殺害したものであって、このような被告人の卑劣性、背信性は、極めて強い非難に値するといわなければならない。ことに、背の後彎したF子の姿やF子の身を案じて足をさする盲目のEの様子を想うとき、両名殺害に及んだ被告人の冷酷さには際立ったものがある。また、被告人にとっても、E夫婦は、恩義こそあれ恨む筋合いなどは全くないのであるから、たとえ両名殺害を企図し、いよいよ当日決行しなければ、不正の発覚は免れないと思い詰めていたとしても、いざ顔を合わし言葉を交わしたりすれば、実行に踏み切るには大きな抵抗感があると思われるのに、被告人は、結局、これを乗り越え、事前に想定した殺害の手順に従って、殺害を実行し、これを最後まで貫徹し、名刺の回収等も行っているのであって、そこには、被告人の冷酷性、非情性が色濃く投影されているのである(なお、被告人の普段の人柄について悪く言う者は誰一人おらず、本件犯行はそれとの落差が甚だ大きいが、これまでの順風満帆ともいうべき半生にピリオドを打たなければならないという人生の危機に直面して、平常は裏に潜んで見えなかった被告人の隠れた人間性が表に現われたものといえよう。)。

4  そして、本件犯行は、E夫婦のこの上もなく尊い命を奪い去り、二五〇〇万円という多額の債務を免れるなどしたもので、その結果は極めて重大である。E夫婦が被告人の架空の運用話を了承したのは、その有利さに惹かれたからではなく、信頼していた被告人の成績向上のために協力したいと思ったからであることは推認に難くないところ、E夫婦は、このように、多大の信頼を寄せ、成績向上に協力しようとまでした被告人から、裏切られ、その生命を突如奪われたのであって、その恐怖、苦しみ、怒り、無念さは、察するに余りある。共に身体的ハンディキャップを負う被害者両名は、結婚以来互いに助け合い、そのハンディキャップに負けることなく、積極的に人生を生き、勤労を厭わず、長年実直に働き、老後の蓄えもして判示自宅でつつましやかに夫婦水入らずの平和な余生を送っていたものである。被害者夫婦のこれまでの人生における辛苦を思えば、誰しも被害者夫婦がその辛苦の末得た平和で幸福な日々の末永く続くことを祈らずにおれないであろう。ところが、被害者夫婦は、強盗殺人の犯行の犠牲になるという悪夢としかいいようのない事態によって、その人生を途絶させられたのであって、被害者夫婦を襲ったこれ以上にない悲運には哀憐の情を禁じえないのである。

また、最愛の両親、かけがいのない父母を突然一挙に奪われ、真夏に殺害され発見されるまでの間に損傷が進んだ遺体に対面し、あるいは対面もままならなかったE夫婦の長男長女をはじめとする遺族の悲嘆、痛恨は筆舌に尽くしがたいものがあると思われるのであって、被告人に対し極刑を望む遺族の心情は、十分頷けるところである。

5  被告人は、犯行後、流しの物盗りの犯行と見せかけるために、その場にあった財布から一万円札一枚を抜き取って、右財布をE方一階和室八畳間の畳上に放置したり、あるいは、E方を密閉し、一階台所のガスレンジの点火スイッチを押したままにした後、ガスの元栓を開き、右和室の仏壇のろうそくをともすなどして、放火を企図し、罪証隠滅ないしアリバイ工作を図るなど、犯行後の行動も甚だ悪質である。

6  なお、本件は、閑静な新興住宅地と農村地帯が混在する地域で発生した老夫婦殺害事件として、近隣住民に大きな不安を与えたことが窺われるばかりでなく、当時大手都市銀行の行員であった被告人が犯人として検挙されたことから、新聞等にも世にあるまじき事件として大々的に報道され、社会に強烈な衝撃を与えるとともに、被告人の勤務先であった丙川銀行春日部支店、丙川銀行ひいては銀行業界全体の信用を大きく失墜させたのであって、本件の社会的影響も大きかったと認められる。

三  以上に照らすと、被告人の刑事責任は、誠に重大であり、その償いには極刑をおいてほかないとの検察官の意見は十分傾聴に値する。しかし、死刑が人間存在の根源である生命の剥奪を内容とする最も峻厳かつ究極の処罰であることを考慮すると、その選択には特に慎重を期さなくてはならず、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状をつぶさに検討し、これを併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑の選択がやむを得ないと認められる場合に限り、その選択が許されるというべきであるから、以下、この観点から、更に検討を加える。

四1  本件犯行につき、強盗殺人罪が成立することは前述のとおりである。そして、強盗殺人罪の法定刑は、死刑又は無期懲役刑と定められているのであるが、強盗殺人罪につき、かかる重刑のみが法定されている所以の一つは、金品又は財産上の利益を得るために人命を奪い去ることをも厭わぬという、動機の利欲性の高さが挙げられると思われる。このことは、動機の利欲性が高い身の代金目的誘拐を伴う殺人、保険金取得目的殺人などが概して死刑を含む重刑が科せられていることなどからも裏付けられるところである。

本件においては、被告人がE夫婦を殺害した動機については、前記名刺を強取するとともに、二五〇〇万円の債務を免れようという意図が認められるのは前述のとおりであるが、被告人がE夫婦殺害という行為にまで踏み切ったより大きな動因は、やはり、自らの不正の発覚を絶対に回避したいという強い思いであったことは、判示経緯などに照らし明らかである。

そして、名刺強取が不正発覚を免れるための手段という側面もあることや、二五〇〇万円の債務免脱のみによっては、被告人に生ずる利得は、せいぜい利ざや程度であり、前記資材会社及び運送会社から融資金を回収しなければ多額の現実的利得は生じないところ、右回収の見込みは当面なかったことなどからすると、名刺強取及び債務免脱の意図についても、利欲性はそれほど高いものではなく、一攫千金を狙って、他人の家に押し入り、強盗殺人を行うような事案と本件とを同列に論じることは相当でないといわなければならない。

なお、被告人の不正融資行為において利ざやが生ずることはあるが、利ざやの取得がその主たる目的ではなかったことは明らかであり、本件犯行の利欲性を強めるものではない。

2  本件犯行について計画性が認められることは前述のとおりであるが、綿密周到無比とまではいいがたく、犯行後の前記工作にしても(それ自体は極めて巧妙卑劣なものではあるが)、犯行後に思いついて、とっさに実行したものであることなどが認められるのである。また、本件犯行は被告人の冷酷性、非情性が色濃く投影されていること前記のとおりであるものの、それに至る経緯を見ると、E夫婦殺害を企図しつつも、なかなか実行に踏み切れず、いよいよ切羽詰まるまでは逡巡の気持を抱いていたことも窺われるのである。また、本件は強盗殺人事件であって、被告人の不正融資の責任が問われているわけではないから、被告人の上司らにおいて、被告人の不正融資を発見しうるような機会が本件犯行発生前何回か訪れていたのにいずれの場合も発見に至らなかったことについて、たとえこれが監督上の過失と認められるとしても、そのこと自体は被告人に格別有利な事情と見ることができないことはもちろんであり、これが監督上の過失であると強調し被告人に対する情状酌量を求める弁護人らの所論は、被告人の責任を理由なく銀行側に転嫁するものとして、到底左袒しうるものではないが、ただ、監督上の過失であるかどうかにかかわりなく、いずれの機会も不正融資発見につながらなかったことが、結果として、被告人をして不正融資のやりくりを可能にさせるとともに、そのやりくりに窮して心理的に追い詰められて冷静を欠くような状態に陥るまでに至らせたという面があることは無視し去るわけにもいかないのである。その意味で、被告人が、自己の不正が発覚しないまま、本件に至ったという経緯については、回顧的に見れば、不運が重なったという側面もあることは否定できない。

3  そして、本件犯行に至る経緯については、判示のとおり、長期間にわたる特殊な経緯があることなどからすれば、本件犯行の模倣性・伝播性は大きいとはいえないことが明らかである。

五  右に述べたように、本件犯行自体の特殊性のほかに、被告人のために酌むべきいくつかの情状も存する。

まず、被告人は、勤務先等では平静を装っていたものの、まもなく検挙は免れないと覚悟し、妻に対し、「もし俺が刑務所に入ったらどうする。離婚する。」などとそれとなく聞いてみたり、平成一〇年七月八日に警察官から事情聴取を受け、犯行の顕著な証跡である指の傷の点を追及されたからとはいえ、一時間足らずで、犯行を自白するに至り、それ以後犯行に至る経緯、犯行状況等を具体的かつ詳細に供述している。そして、当初は、妻に一切を打ち明けてから、逮捕されようという自身の心づもりもあって、突然の検挙に激しく動揺し、E夫婦に対する謝罪の念より、妻子の今後の行く末に対する心配を強調するなどしていたが、自らの罪責の重大性を次第に自覚するとともに、反省悔悟の念を深め、極刑を含むいかなる刑にも服する心境に至っていることが認められる。

そして、右のような被告人の反省・悔悟の様子や、被告人の年齢及び生育歴、被告人に前科前歴は全くないこと、大学卒業以来銀行に勤務し、家庭を持ち、善良な一市民としての生活を続けてきたことなどからすると、被告人に矯正可能性がないとはいえない。本件犯行に至る経緯は、被告人の場当たり的で、一人で問題を抱え込むような性格が反映しており、犯行の遂行過程においては、冷酷性、、非情性も見られるとはいえ、これまで前科前歴が全くなかったことなどからも分かるように、被告人の右のような性格が直ちに犯罪に結びつくものとはいえないし、被告人の犯罪性が牢固として抜きがたいなどということも認めがたい。

また、被告人の勤務先であった丙川銀行は、被害者夫婦の長男長女に対し、被告人の使用者としての責任を認め、相当高額の金員を支払うことなどを内容とする調停を成立させ、これに基づいて右金員を支払うなどしていることも認められるところ、右被害弁償は、丙川銀行自体の責任を履行したものであるとはいえ、客観的には本件犯行による被害を填補するものであるから、被告人のために一定程度酌むべき事情ということができる。更に、被告人の父親らは、一〇〇〇万円を工面し、被害弁償の一部に充てようとしたものの、被害者らの遺族から峻拒されたため、丙川銀行の求償ないしは右遺族から改めて被害弁償の求めがあれば、直ちにこれに応じる意向で右金員を保管していることも認められる。

なお、被告人は、本件の如き重大凶悪犯行を犯したことによる当然の報いではあるが、懲戒解雇処分を受けるなど、一定の社会的制裁を受けていることも認められる。

六  以上に述べた事情その他諸般の事情を総合考慮したとき、被告人の負うべき刑事責任は誠に重大なものであるが、いまだ極刑をもって臨む以外にないとまで断ずるにはいささか躊躇を感じざるを得ないところであって、被告人に対しては主文のとおり無期懲役に処するのが相当であると判断した。

(裁判長裁判官 須田 賢 裁判官 白井幸夫 裁判官 吉田勝栄)

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